1.歯科矯正学の歴史-3

1.歯科矯正学の歴史-3

 最後に、日本における歯科矯正学の発達について簡単にしるしてみます。

 日本においての歯科矯正学は、はじめは主としてアメリカの教科書の翻訳によってその大様が紹介されたにとどまっていましたが、その技術面が実際に紹介されたのはAngleの矯正塾を卒業した寺木定芳によってです。しかし当時のAngle法は、主として初期の歯弓拡大法であって、今日の技術革新を経たものとはかなり異なっていました。のち榎本美彦によってAngleの改良されたedgewise法が紹介されましたが、その装置方法はまだ非抜歯論的立場をとっていたために多くの支持者を得るにいたりませんでした。

 一方Angle派とは対照的に、より簡単な装置で歯弓や顎の発育を助長しながら歯を移動しようと試みる、いわゆる生物学派ともいえるMershon派の舌側あるいは唇側弧線装置が岩垣宏、高橋新次郎などによって紹介され多くの支持者を得、第二次世界大戦前まではこの唇・舌側弧線装置を用いる方法がわが国矯正学界の主流を占めていました。

 また1940年代には、ヨーロッパの機能派ともいえる機能的顎矯正法が高橋新次郎によって導入され、急激に支持者を得ましたが、その技術的限界が知られるに及んで今日では限られた適応症にのみ応用されています。これはこの治療法が白人の不正咬合とくに上顎前突にはかなり有効であるにもかかわらず、日本人のそれには応用されにくい一面をもっているからです。というのは、日本人の上顎前突の症例では抜歯を必要とするものが多く、この種の症例にはこの機能的矯正装置は、空隙の閉塞や歯軸の整直という点で技術的な限界があるからです。これに反して日本人の幼若者に多い仮性のいわゆる反対咬合には時として著効を発揮することがあるので、症例を選択して用いられています。また床矯正装置も限局的な矯正治療に用いられて今日に至っています。

 第二次世界大戦後は世界の矯正学界の情報が瞬時のうちに日本にもたらされ、矯正学に対する多くの新しい基礎研究や、治療面での新しい技術が紹介された結果、日本の歯科矯正学の研究と臨床とは急速な進歩をとげつつあります。とくに基礎的な研究では世界のレベルと比較して遜色のない進歩が見られます。

 これに反して臨床技術面では矯正の専門医標榜が長年にわたって許されていなかったこととも関係して、必ずしも基礎的研究と同じレベルにあったとはいえない憾みがありました。しかし1979年から、専門科名ではないが、歯科の中に“矯正歯科”という診療科名の標榜が許されるようになったので、臨床面での飛躍的な発展が期待され、現に外国の学会で臨床報告をする者も近年になって増加しています。したがって基礎的研究との間の間隙は急速に埋められつつあるといってよいでしょう。

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